第2話  JAMSTECへの道 前編

その3  国際ワークショップで撃沈

前回まで: 1992年、大学院生になった高井研は“生命の起源に迫れる”かもしれない超好熱菌の研究にいそしんでいた。そこに舞い込んできた国際ワークショップの知らせ。8月、まだ名前しか知らない研究所JAMSTECに、世界の大物研究者が集結するという。それは、衝撃の1日だった・・・。

留学寸前のボク(右下)。中央下段に写っているのが豪腕教授、水産微生物学研究室の石田祐三郎先生。そして、真ん中でニコリと笑っているのが、日本人女性に擬態し始めたチリの女子留学生パメラさん。
(提供:高井研)

当時、ボクの所属していた研究室は、そこそこ研究費に恵まれていたようだが、「お金持ち」研究室というほどではなかった。そのため、大学院生に支給される旅費は1年に1回、学会発表の際に2万円だけというヘンなルールがあって、ワークショップには自費で参加しないとダメだった。

となると極貧学生のボクには、「青春18きっぷ」を使って普通電車で京都から横須賀のJAMSTECに行くしか手だてはなかった。

ワークショップの前日、同じ研究室に留学していたチリの女子学生パメラさんが、ボクの貧乏旅に便乗してきた。パメラさんといっしょに京都から横浜までゴトゴト鈍行電車で移動した。日本にやってきてまだ日の浅いパメラさんは、ボクと同い歳だったが既にチリの標準的お母さん体型をした女性で、覚え立てのヘンな関西弁を使うので、かなり濃厚な関西のオバチャン臭を漂わせていた。

そんなパメラさんとずっといっしょだったので、道中かなりイライラすることもあり、行きの旅はかなり疲れたのを良く覚えている。

余談になるがその後、パメラさんは6年近く京都大学の水産微生物学研究室に滞在し、博士号を取得すること(さらにボクにとって唯一の異性の親友)になるが、どんどん日本の若い女性の標準的体型に近づき、キレイになっていったのにはびっくりした。「生物の環境適応」をまざまざと観察することになった。どーでもいいですね、この話。

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