第2話  JAMSTECへの道 前編

その4  アメリカ留学「ケンはなかなか面白いアイデアを持っている」

前回まで:1992年。大学院生の高井研は初めて国際ワークショップに参加し、うちのめされ、そして誓った。「見てろよ。今は、誰も注目しないカスみたいな大学院生にすぎないけれど、今日この場にいたJAMSTECの、日本の、そして世界の研究者をあっと言わせる研究をしてやる・・・」

留学先のアメリカ、シアトルにあるワシントン大学。都市部に広大なキャンパスを持つアメリカ北西部で最も伝統ある州立大学。いい大学です。(提供:高井研)
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それからほぼ2年後、1994年、ボクはアメリカのシアトルにいた。

京都大学大学院農学研究科博士課程に進んだボクは、とてもイロイロ紆余曲折はあったけれど・・・、石田先生の思惑に始まった留学を実現させた。博士課程の研究をワシントン州立ワシントン大学海洋学部のジョン・バロス教授に指導してもらうという名目で、1年間留学したのだった。

ボクにとって、生まれて初めての海外旅行が留学だった。それはそれは、24歳のボクにとっての大きなイベントだった。笑っちゃうような話だが、行く前は、アメリカで銃犯罪かなにかに巻き込まれて、「日本の若者、アメリカで夢散る」みたいなことまで想像して、「生きて日本の地を踏むこともないかもしれぬ」と死地に赴くような気持ちだった。「大げさなー」というツッコミが聞こえてきそうだが、それくらいウブな若者だったということなんです。

ジョン・バロス、ジョン、は、イタリア人の父親とアメリカ人の母親を持つ、「シシリーマフィアのゴッドファーザー」のような、一見かなり怖い顔をした研究者だった。ボクが留学していたときは40代前半だったはずだが、もっと風格があったように感じる。口数が少なく、やや人見知りなところがあるが、実はスゴク愉快で優しい、そしてその優しさをテレながらにしか見せられない研究者だった。

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